1960年代後半、「恋のハレルヤ」や「天使の誘惑」で一世を風靡した黛ジュン(まゆずみ じゅん)さん。
華やかな芸能人生の裏側には、2度の結婚と離婚、そして“イタコの助言で破棄された婚約”という衝撃的なエピソードが存在します。
今回は黛ジュンさんの結婚歴と婚約破棄の真相を、時系列で整理しながら深掘りしていきます!
・黛ジュンさんの結婚や恋愛遍歴を詳しく知りたい方
・昭和を代表する歌姫の意外な私生活に興味がある方
黛ジュンさんのプロフィール
まずは、黛ジュンさんの基本情報を押さえておきたいと思います。

出典:マイナビニュース
本名 | 渡邊順子(わたなべ じゅんこ) |
生年月日 | 1948年5月26日(77歳・2025年5月26日時点) |
出身地 | 東京都調布市 |
デビュー年 | 1967年(シングル『恋のハレルヤ』でブレイク) |
代表曲 | 「天使の誘惑」「夕月」「乙女の祈り」など |
兄 | 作曲家・三木たかし(代表作に山口百恵『いい日旅立ち』など) |

黛ジュンさんはその圧倒的な歌唱力と斬新なファッションで1960年代を彩った昭和の歌姫のひとりです。
黛ジュン 結婚と離婚の全履歴
次に、黛ジュンさんの結婚歴と離婚理由について見ていきたいと思います。
初婚:1970年、スタジオミュージシャンとの結婚
黛ジュンさんは22歳のとき、スタジオミュージシャンの江藤勲さんと結婚。
一時は芸能活動を引退して主婦業に専念していましたが、家庭生活は長く続かず1973年に離婚。
離婚の理由は明確にされていませんが、当時の報道では価値観の違いや黛さんの芸能界復帰志向が関係していたと言われています。
再婚:1990年、ドラマーとの再婚もわずか4年で破局
二度目の結婚は、1990年。相手はドラマーの石田秀雄さん。
お互い音楽を通じて知り合ったとされますが、この結婚も1994年に終止符を打ちました。
理由は「収入格差による価値観のすれ違い」。芸能活動を継続する黛さんと、活動が安定しないミュージシャンとの間で、生活面や将来設計にズレが生じたようです。
黛ジュン イタコ婚約破棄の全貌
次に、2001年に発覚した“イタコ事件”についてご紹介します。
作詞家との婚約発表、からの急転直下
黛さんは2001年、演歌作詞家の里村龍一さんと婚約を発表。
芸能ニュースでも大きく取り上げられ、本人も幸せそうなコメントを出していました。

しかし、婚約からわずか2か月後、破談が報じられます。
原因は相手がイタコに相談した“霊的助言”
破談の理由は驚くべきものでした。
なんと、里村龍一さん(黛さんの婚約者)が青森の有名なイタコに相談し、
「あなたたちは相性が最悪」
という霊的な助言を受けたことが原因だったのです。
里村龍一さんはこの言葉を受けて、婚約解消を申し出たといいます。
黛ジュンさんの本音:「私は本気だった」
黛ジュンさんは後年、このエピソードをテレビ番組で笑い話のように語りながらも、
「私は本気だったんですけどね…」
と語り、内心のショックの大きさがうかがえる発言も残しています。
黛ジュンさんの結婚観と選ばなかった人生
ここでは、2度の離婚と婚約破棄を経験した黛ジュンさんの人生を、少し違った視点から考えてみたいと思います。
芸能人としての自立と結婚の難しさ
黛ジュンさんのケースに見られるのは、「芸能人としての自立した女性」が、結婚生活においてパートナーとのバランスを取る難しさです。
収入格差や仕事への理解不足は、どの夫婦でも起こりうる問題ですが、芸能人ゆえの公私混同や過剰な注目が関係を複雑にしています。
霊的アプローチが関係を左右する時代性
また、イタコによる婚約破棄という一件は、2000年代初頭という時代の“スピリチュアルブーム”とも無関係ではないと思われます。
現代では考えにくい決断ですが、当時は「占い」「運命」への依存が一般的だった側面も見逃せないですよね。
まとめ
今回は黛ジュンさんの結婚歴と婚約破棄の真相を、時系列で整理しながら深掘りしていきました。
最後までお読みいただきありがとうございました!